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倭(ヤマト)しうるはし

~わが国が「倭」と呼ばれていた上古の面影を今につたえる風景や風物など・・・いにしえのヤマトをしみじみと~

古代祭祀の面影

磐座祭祀を訪ねて(2) ~元出雲の國祖祭

磐座祭祀を訪ねて(2) ~元出雲の國祖祭
●御蔭山(みかげやま)に鎮座する磐座を前に祭儀が行われる出雲大神宮(京都府亀岡市)の國祖祭


天地(あめつち)の中にひとつ物成れり かたち葦牙(あしかび)のごとし 

すなはち神と化為る 国常立神とまをす

(日本書紀 / 天地開闢)


丹波国一宮の出雲大神宮。
 ここでは,今なお続く磐座での祭祀を見ることができます。毎月25日に催行される「國祖祭」がそう。
 神体山である御蔭山の山腹に坐す,磐座群(古代祭祀遺跡)での祭儀に,自分が参列したのは,去る2012年11月25日のこと。ちょうど盛りを迎えた紅葉が晩秋の境内と山を彩る頃合でした。



磐座祭祀を訪ねて(2) ~元出雲の國祖祭
●出雲大神宮のカンナビ,御蔭山(みかげやま)の磐座へと続く山道を上がっていきます

日本書紀にいう,天地開闢の第一神,国常立尊(クニノトコタチノミコト)が神留まると云われる磐座は境内から御蔭山の上り道を歩くこと10分ほどのところに位置しています。拝見したところ,山の斜面にいくつかの岩石群が木立に寄り添うように散在し,その周囲を禁足地を示す注連縄がしっかりと囲んでいます。
 この日は,朝霧もあいまって,いかにもカンナビというに相応しい雰囲気の中,山中の磐座前には,神饌を供える三方が並べられ,國祖祭の準備が次第に整えられていきました。そして,祭典が始まったのは午前10時。御祓いの後,神主ともども参列者一同,大祓詞を唱えます。
 磐座の前に設けられた祭壇では,大祓詞の後,祭主による祝詞が奏上され,その後は玉串奉奠(たまぐしほうでん)。神主以下神職,そして参列者ひとりひとりが順に,案台に玉串を捧げ,磐座に拝礼しました。
 國祖祭は30分ほどの祭典。静まり返った山中の磐座への祈りがおもむろに粛々と執り行われました。終始,厳粛なひとときでした。



磐座祭祀を訪ねて(2) ~元出雲の國祖祭
●祭典が終わり,巫女が磐座前の祭壇を片付け始めます

出雲大神宮は,実はその名が示すように,出雲大社の元宮であるともいわれています(元出雲)。当日,祭儀を主宰した神主さんによれば,磐座の始まり即ち,国常立神が鎮座したのが約2万年前。そして,この地では縄文・弥生の頃には既に何らかの祭祀が営まれていたとのことです。そして,現在の國祖祭は,上古以前から連綿と続く御蔭山の磐座祭祀の延長上にあるというわけです。
 かつては,山全体を禁足地とし,出雲大神宮の神官たちだけによってひっそりと行われ続けていたという國祖の磐座祭祀。磐座の鎮座地までの入山と祭典への参列を一般に開放して,数年を経るのだそうです。どうやら,当日,國祖祭に居合わせた参列者有志には,いわゆる常連の方々も少なからず居られた様子で,お互いに顔見知りであったり,勝手心得たという感じであったりしました。祭典の後,挨拶兼解説くださった神主さんの言葉を借りれば,″神様に呼ばれて津々浦々から集まり,今この場で居合わせた人たち”なのだそうですが。



磐座祭祀を訪ねて(2) ~元出雲の國祖祭
●磐座を後にして下山しようとしたとき,木漏れ日が光のシャワーのように降り注ぎました

ここは元出雲だともいわれると先述しましたが,『丹波国風土記』に「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中,大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」という記述があるのが根拠のようです。
 祭典の後,下山がてら,山腹をあちこち物見しながら神社の境内へと戻りました。祭典があった國祖の磐座以外にも,山腹の至る所に鎮座する大小の磐座や,山中に湧き出でて草木を潤す真名井の神水,そして,上古,この地の祭祀を仕切った神官が眠るとされる古墳など,神さびた雰囲気が漂うカンナビの山麓をみていると,ここが元出雲かどうかは知りませんが,きっと太古の昔から聖地として崇められ続けてきたのだろうなという印象を強く受けました。



磐座祭祀を訪ねて(2) ~元出雲の國祖祭
●出雲大神宮の社殿と背後にそびえる黄葉の御蔭山


御蔭山の山中から神社の境内へ。祭典が始まる頃あたりまで一帯を覆っていた霧も晴れ渡り,いつの間にか快晴。日が高く上る時刻。

先ほどまで籠もっていた,カンナビ山は橙一色。外から見る山姿は大変鮮やかなものでした。

晩秋ならではの秀麗なその姿をひと目,遥拝した後,天地開闢の神が宿る地を後にしました。



【出雲大神宮の由緒】
当宮は大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主祭神と称え祀り、丹波國に御鎮座なされています。(他に天津彦根命・天夷鳥命を祀るという説もあります)。

殊に三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。
天地結びの神、即ち縁結びの由緒は叉ここに発するもので、俗称元出雲の所以であります。

日本建国は国譲りの神事に拠るところですが、丹波国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮です。
古来大平和の御神意に拠り、国と国人総ての結びの大神を祀るとして上下の尊崇極めて篤く、崇神天皇再興の後、社伝によれば元明天皇和銅二(709)年に初めて社殿を造営。

現社殿は鎌倉末期の建立にして(旧国宝・現重要文化財)それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し、古来より今尚禁足の地であります。
又御陰山は元々国常立尊のお鎮まりになられる聖地と伝えられています。


以上,出雲大神宮ホームページより引用


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