氷川女體神社の磐船祭

まほろば旅日記編集部 倭しうるはし担当

2013年07月21日 03:00


●氷川女體神社磐船祭の祭礼行列

朱(あけ)の雲分けうらうらと 豊栄昇る朝日子を

神のみかげとおろがめば その日その日の尊しや



このところ,さいたま氷川神社に関する記事が続いていますが,今回もまたまた懲りずに,氷川神社からです。

氷川女體神社磐船祭

去る5月4日,氷川女體神社の磐船祭祀場で行われた,同社のルーツにも関わる主要な祭典。陽春の午後より,神社に隣接する池に浮かぶ祭祀場で行われた儀式を見学してまいりました。


●氷川女體神社(まつり当日の撮影ではありません)

普段は,樹木に覆われて静寂な神社境内も,まつり当日ばかりは大変にぎやか。大勢の人々でいっぱいでした。訪れるのは初めてなので祭典がはじまる数十分前には,境内から下った位置にある磐船祭祀場へと移動しました。
 なお,氷川女體神社のあらましについては,下記の過去記事にて書いているのでご覧ください。
 ・見沼の祭祀を司った三つの氷川神社(2013.4.21)




●磐船祭祀場にて,祭典の準備が整えられます


わずかに残った池に浮か直径十数メートルの円形をした小島。水の中をまっすぐ通る細道で神社の石段下につながっているので上空から見れば,きっと池に浮かぶ手鏡のような形をしているでしょう。18世紀の享保年間,広大な見沼を埋め立てた際に,この氷川女體神社の「御船祀神事(みふねまつりのしんじ)」を続けるために造られた祭祀場です。
 見沼の干拓前までは,氷川女體神社の神官たちは古くからずっと湖沼の真ん中まで船を出し,竜神(水神)を祭る祭祀を連綿と続けてきたのですが,享保の埋め立てで広大な見沼がなくなって以降はこの磐船祭祀場で祭典を行うようになり,現在に至るわけです。


【磐船祭,催行】

●午後2時,磐船祭祀場に神主・巫女の行列が到着しました


●年に一度,このときだけお目見えする,竜神をかたどった張りぼて


その祭祀場に神官たちが到着。傍らに竜神をかたどった大きな張りぼてを安置し,いよいよ祭典が始まりました。ゴールデンウィーク期間中の物珍しい祭儀を一目見ようと,大勢の人が祭祀の空間をぐるりと取り囲み,気がつくと小島は二重三重の人垣でいっぱいになっていました。
 祭祀場の東西南北,神主が四方を御祓いした後,大勢が固唾を呑んで見守る中,祝詞をはじめ祭壇での神事が始まりました。



●磐船祭祀場で奉納される巫女神楽「豊栄の舞」

祭典の中でやはり最も人目を惹くのは,祝詞奏上に続いて奉納された神楽でしょう。写真は豊栄の舞。冒頭のオレンジ色で表示した神歌に乗せて優雅に舞う,四人舞の祭祀舞です。舞手は,この日のために氏子中の子女から選ばれた臨時巫女が勤めているとのことでした。祭りの半月前に当たる四月下旬に氷川女體神社へ下見を兼ねて参拝した折には,この祭りに向けて神楽の特訓が既に行われているのを目にしました。

磐船祭は通称,竜神まつりともいわれ,かつて見沼に鎮まっていた竜神を,年一度,天からお迎えし,奉斎するというのが主旨です。
 現存する磐船祭の前身だと先述した,御船祀神事はいつの時代に始まったのかは判然としないものの,神事の性質上,催行の記録が残っている中世の頃,よりもかなり前の時代から行われていたのは間違いないだろうと考えられています。近年,水祭祀ないし水に関する神まつりが,古墳時代に行われていたことが祭祀考古学の研究分野で明らかにされつつあります。
 古墳時代あるいはそれ以前の時代,見沼(神沼または御沼)に対する祭場だったと考えられる氷川三社のひとつとして,ここ氷川女體神社(または現神社の前身だった古代祭祀場)でも,磐船祭・御船祀神事の祖形となった水祭祀(水神祭祀)がきっと行われていたことでしょう。否,上古における「水」の重要さを考えれば原初的な水祭祀が行われていたと考えるのが自然でしょう。それがやがて,時代が律令期さらに中世へと進むうち,神聖視する対象が水(湖沼)そのものから湖に宿る竜神だとされるように変遷してきたということ。その背景には,大陸から多くの文物とともにもたらされた外来の龍神信仰の影響もあったかもしれないですし,森羅万象よりは神仏(または像)だとか河川よりは弁天様や竜神様へと,より具体的で特定可能な信仰対象,より超自然的な信仰対象へとシフトしていった日本人の宗教観と歩調を合わせた経緯もあったのかもしれません。


●祭典が終わり,磐船祭祀場を後にする巫女たち

水・稲作にゆかり深いとされる出雲の女神,クシナダヒメ(奇稲田媛)を主祭神とする氷川女體神社

奇しくも,水祭祀に起源する氷川三社の中では,この神社が,水との密接な結びつきを最も良く,最もわかりやすい形で現在に伝えているといえるでしょう。
 今見られる祭祀は,千数百年,もしかすると二千年以上の長い時間の流れの中で,上古の姿からは大きく様変わりしているはずでしょうが,厳かであると同時に風雅な磐船祭に,古の見沼における水祭祀の面影を垣間見たようなひと時でした。形を変えながらも,遠き御祖,氷川の倭人が行っていただろう原初の水祭祀の「こころ」は連綿としっかりと今に受け継がれているかのように強く感じたような気がします。

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