水無月の夏越の祓,その心は

まほろば旅日記編集部 倭しうるはし担当

2013年07月09日 01:35


●武蔵一宮,氷川神社(さいたま市大宮区)での,夏越の神事。茅の輪くぐり

2013年も早,折り返し時期を迎えた,去る6月30日。
全国各地で,上半年の潔斎を行う,夏越の大祓と茅の輪くぐりが行われました。自分は,今年は,いつもお世話になっている地元鎌倉の鶴岡八幡宮の夏越神事を辞して,鎌倉街道を北へ。武蔵大宮は氷川神社へと参りました。
 こちらでは,神沼(みぬま)に架かる朱塗りの橋に据えられた茅の輪を,白浄衣に身を包んだ神職が行列をなしてくぐり,一連の夏越の大祓神事が始まります。式の大まかな流れは何処も同様ですが,細々とした手順などは神社によって勝手が違う大祓。通いなれた鶴岡八幡宮などでは逐一,神職による先導に従って型代(かたしろ)の祓と茅の輪くぐりをするところ,こちら大宮では型代を用いたお祓いを各自,あらかじめ済ませて所定の櫃に納め,午後2時からの神事開始を待つ運びとなります。
 神橋でのはじめの茅の輪をくぐり終えた神職が楼門内で一同,整列。祭主(宮司)の儀式はじめの言葉に「オー」注※1)と律令の古式に則って,発せられた神職中の返答の掛け声とともに,いよいよ儀式の中核。大祓詞(おおはらえことば)が高らかに奏上されました。(楼門内の儀式は撮影禁止)



●大祓儀式の主役はこの型代。人形(ひとがた)ともいいます。

その大祓の儀式で用いるのが,上写真の,ヒトの形をした白い紙片。型代(あるいは人形)というものです。大祓詞の前後注※2)に,これで自身の身体をその紙で撫でた後,息を三度吹きかけて,身についた半年分のケガレをうつすわけです。その型代は,古来,水辺に持ち運び,河川の流れに打ち捨てるしきたりだったそうです。あいにく,環境問題などの観点から現在,大宮氷川神社においては膨大な数の型代をじかに水流に打ち捨てることはやらないのですが,大宮氷川の妃姫格である,氷川女體神社(さいたま市緑区)では今なお,型代を水に流しています。また,栃木県の某所では,なんと,この夏越に近い七夕の日に雛流し行事を行っており,雛をかたどった紙人形を川に流して無病息災を祈願していたりします。時節は違うものの,ケガレを祓うためという点で,春先にここで紹介した『岩槻の流し雛神事』とも意味合いは同じです。

 
そして,大祓に使う白い型代もまた流し雛と同じもの。

どちらも身のケガレを身代わりに移して払い去るためのもの。水に流して清め,もとの元気な状態に戻すための依り代として使うもの。




●ケガレを祓う型代(左)も流し雛(右)も元をただせば同じもの

春の訪れを告げる3月3日の雛祭りと,七夕の神迎えを控えた6月30日に行う夏越の祓。お互いに時節は離れ離れになっている上,行事の内容も見た目もまったく異なるように見えるこの二つの行事ですが,実は根底にある「こころ」は同じものであるという驚くような,今回のお話。両者とも,今をさかのぼること千数百年前には年間を通じて行われた一連の潔斎行事(神事)の一部であったという深遠なストーリー。 
 
型代,そして,流し雛が,上巳の節句と夏越の祓が同種同根,お互いの接点を現代に伝える有意義で重要な手がかりになっているわけです。
 
夏越の大祓

もともと水祭祀の場であったといわれ,今なお水辺に佇むその境内が美しい氷川神社には大変似つかわしい神事なのかもしれませんね。大祓神事の後,儀式終わりの2度目の茅の輪くぐりをして退下した神職中に続いて,大勢の参列者もまた順次,茅の輪をくぐって境内を後にしてゆきました。大勢のくぐり終える人の列が途切れる頃には,神沼(みぬま)の水面にも参道の灯かりが映りこむ時刻になっていたことでしょう。



●大宮氷川神社。楼門内で大祓神事を終えた神職一同,今度は出口に設けられた茅の輪をくぐって退場しまかりました。



(注)
※1 万葉ことばの「オー」は現代語でいう「はい」という意味。目上の人に対して応える返事。現在では神道の儀式以外に琉球方言において,同じく「はい」という意味で「ウー」と返答するが,これは万葉語の「オー」と同じ。
※2 催行する神社によって,型代(人形)を用いるのは,大祓詞の前であったり,後であったりします。筆者の地元,鎌倉の鶴岡八幡宮では大祓詞後に型代祓いをして茅の輪くぐりへと進みますが,ここ大宮氷川神社では大祓儀式の前に型代祓いを済ませておく手順です。 


(追伸)


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