【Review】 神奈備(かんなび) ~神道の原風景とは~
●巨岩の岩陰を前に祭祀が行われる花窟神社(三重県熊野市)の例大祭
磐座祭祀
それは原初の神まつりのスタイルのひとつ。
神社の建物の中に神様をお祀りするスタイルが一般的なものになったのは,わが国に仏教が普及して以降のこと。早くても,律令体制が成立する以前までには遡らないのです。律令以前の上古,わが国が「倭」と称されていた頃の祭祀は,現在の神道のように神霊が常駐する本殿などを基本的には造らず,我々の祖先は山,木,滝,岩などの自然物そのものに神性が宿るとして崇拝していました。そして,神まつりを行う時には,神を招き寄せるための巨石や大木をそれぞれ「磐座(いわくら)」,「神籬(ひもろぎ)」と呼んで神聖視し,そこに銅鏡や勾玉などの祭具や供え物の食べ物などを捧げて祭祀を行ったのです。おそらくは縄文の昔にまで遡るアニミズムを起源とする,自然崇拝的な古代祭祀を,律令以降に体系づけされた「神道」と区別して,「古神道」とか「原始神道」といいます。
冒頭の写真は,そういった「古神道」の様相を,現代にまで伝えていると思われる,花窟の岩陰での祭典。全国でも数少ない,古代の磐座祭祀が今も続いている例だとみなされています。
例えば,大和の大神神社のように,神社施設として拝殿のみで,神霊が鎮座する本殿がなく,円錐型が秀麗な三輪山そのものを御神体とし,山腹や山頂に磐座(古代祭祀跡)が存在するケースも,いわゆる磐座祭祀の部類とすることに問題はないでしょうね。そして,大神神社に限らず,日本全国の古い神社にも同様の例はいくつか存在しますし,さらには,今は本殿を設けているが,上古には近隣の山(または岩)そのものを御神体(神奈備)としていたというパターンの実に多いこと。
●本殿はなく,御神体である巨大な磐船(磐座)そのものに拝殿の建屋(写真左端に見える)が接続する磐船神社(大阪府交野市)
●円錐型が美しい宮地岳と山麓の宮地嶽神社(福岡県福津市)。上古には宮地岳そのものを御神体としていて,現在あるような本殿などの建物はなかったと考えられている。なお,同様な事例は日本全国,枚挙に暇がない。
そして,上古のころを主題とするこのブログでは,磐座祭祀や神奈備山の事例をこれまでにもいくつかご紹介していました。下記に過去記事をまとめます。
【磐座祭祀,神奈備山】
・箱根のパワースポット,駒ケ岳山頂の磐座遺跡 (2010年11月08日)・
・金讃神社と御嶽山 (2011年03月08日)
・諏訪上社と守屋山 (2011年02月22日)
・神留まる処(1) ~今に残る神奈備,御諸の山~ (2011年02月10日)
・新たな夜明けを告げる御神火 ~箱根神社元宮 (2010年11月04日)
・真名井の神庭 ~元伊勢籠神社の元宮~ (2012年12月24日)
●木霊(こだま)に祈りを捧げます。
神籬(ひもろぎ)祭祀
「磐座祭祀」と並ぶ,もうひとつの原初の神まつりのスタイル。岩だけではなく,木(特に巨木)なども神霊が宿る,あるいは降臨する神聖なモノとして,上古の「倭」では崇拝され,祭祀の対象となってきました。
現存する事例を挙げれば,諏訪大社の下社は本殿の代わりに,幣拝殿のすぐ後ろに広がる樹木群が御神体そのものとして扱われている。また,「倭」の時代の古神道をある意味よく現存させているといわれる沖縄県から実例を挙げると,那覇市は首里城の脇にある園比屋武御嶽もまた,16世紀はじめに築造されたという石造の拝殿の裏手に広がる熱帯植物の群落を御神体として拝む形式になっています。
●園比屋武御嶽(沖縄県首里)。手前の立派な石門は,神道でいう拝殿に該当し,神霊が鎮座する本殿に該当するのはすぐ後ろに広がる森林です。
もちろん,この2例だけではなく,全国各地には,本殿を設けず,由われのある木そのものを御神体としている実例は結構残っていたりします。
そのような事例のひとつに,過去に何度か紹介した来宮神社(静岡県熱海市)があります。熱海の来宮神社をはじめ相模湾岸には,同様の信仰体系を持つ古社がいくつかあり,樹木崇拝(木霊崇拝)に他所からの来訪神信仰が結びついた独特の“キノミヤ信仰”を形造っています。
【来宮神社のヒモロギ,阿豆佐和気大楠】
・パワースポット、来宮神社の大楠 (2010年11月29日)
・新緑,若返る神籬(ひもろぎ) ~来宮神社の大楠祭り (2011年05月12日)
・木霊への祈り ~Kinomiya Kodama Forest (2013年01月22日)
●那智の滝を御神体とする飛滝神社。滝の前での祭典(那智火祭りにて)
水祭祀
古墳時代及びそれ以前にあった古神道は,やはり自然崇拝(アニミズム)を原点としているため,上述の磐座(岩石)や神籬(樹木)にとどまらず,自然界の様々なものが御神体として崇拝されます(※)。
例えば,河川または水。
人間をはじめ動植物が生きていくためには水は不可欠なもの。現在のように水道が発達していない古代においては,水の有無は本当に死活問題だったことは容易に察しがつきますし,「倭」の時代には水源を確保することが支配者の大きな要件でした。また,継続的に飲用水をもたらす清流や泉などは信仰の対象となり,折に触れて祭祀が執り行われたことは,考古学や民俗学の研究などから明らかになっています。
そして,上古にあっただろう水祭祀は遺跡という形だけでなく,やはり現代の神道や,沖縄をはじめ南西諸島で今も見られる信仰である,泉御神(カーウカミ)などにその痕跡をとどめていると考えて問題はないでしょう。
●4世紀の水祭祀跡,城之越遺跡(右)と,古墳時代の水祭祀(タナバタツメの神事)の想像図(左)。「七夕のルーツと上古の水祭祀 (2011年07月06日)」より引用
【上古の水祭祀】
・古の水祭祀とは (2011年06月01日)
・七夕のルーツと上古の水祭祀 (2011年07月06日)
・那智の火祭り2011 ~火と水による若返り~ (2011年07月25日)
●上古の清水信仰が起源だとされる寒川神社(神奈川県寒川町)には,本殿裏手に,難波の泉という聖泉が現存する。「寒川(サムカワ)」とは清らかな水流という意味であり,琉球方言で清水を指してサンカー(寒川または寒泉)というが,それと語源は同じ。
いわゆる古墳時代以前においては,以上のように,岩,木,水などが御神体とされ,多くの場合は屋外で祭祀が行われました。現代神道や古代西洋の神殿などのように,建物の中に神様を常駐させるというスタイルは皆無ではなかったようですが,少なくとも殆どなかっただろうと考えられています。
今回,過去記事をまとめるとともに,今後もこのテーマについては,このブログにおいて事例紹介などを綴ってまいりたいと思います。
【注釈】
※ 生島足島神社(長野県上田市)のように,古くから今に至るまで,土(泥)ないし地面を御神体として祭りつづけているという事例もある。
【参考記事】
・神道の歴史 〜磐座祭祀から社殿神道へ (2010年11月10日)
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