山辺の道
迎春,山辺の道をゆく

倭大物主櫛甕玉命と名(みな)を稱(たた)へて
大御和(おほみわ)の神奈備(かむなび)に坐(ま)せ
(出雲国造神賀詞より抜粋)
倭大物主櫛甕玉命(ヤマトオホモノヌシクシミカタマノミコト)とは,大神(おおみわ)の神奈備,三輪山の頂に鎮まる大物主神(オホモノヌシノカミ)のこと。早朝,大神神社の参道にそびえる大鳥居は朝日の洗礼を受けてシルエットに染まりました。
年が明けてまもなく,山辺の道を歩きました。2011年の初詣は大神神社。正月気分が抜けつつある頃合,昨年も酒まつりの時に訪れた境内はようやく静けさを取り戻しつつも,未だ新年の装いも色濃く感じられました。


●白兎~石上神宮にて
大神神社から山辺の道を歩いて延々10キロ近く。普段は静寂な石上神宮は人出も多く,仮設の授与所は,おみくじや御札,お守りなどを求める参拝客が行列して,賑わっていました。そんな本殿の門には今年の干支が,ここで会うのも何かのご縁とお出迎え。
日が傾く時刻,一路再び南へ。
大神神社の北辺,箸墓のある纏向遺跡あたりまでの田園地帯は日本書紀にいう「神浅茅原」とよばれた場所だとされています。

●大鳥居にそそぐ日輪のシャワー
天皇(すめらみこと),何(いか)にぞ国の治らざるを憂ふるや
若し能く我を敬ひ祭らば,必ず当に自平ぎらむ
(日本書紀より)
「神浅茅原」で,崇神天皇ことミマキイリヒコ王が「八十万神を集へて卜問(うらど)ひ」したところ,
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメ)に憑依した大物主神が王に告げた言葉。いわば,三輪の神とヤマト王権のファースト・コンタクト。以後,ミマキイリヒコ王とその後継者は大神(おほみわ)を祭り,国造りを推進していくわけですが。
次第に日が落ちてきました。

●箸墓の暮色

●こちらは大和三山のひとつ
そして,神浅茅原の暮色。大鳥居の向こうへと日は完全に沈みました。

(自己紹介)
こちら「なら咲く」ブログではお初にお目にかかります。KIと申します。昨年末まで,てぃーだブログのshounan.ti-da.net/にて,同名のブログ「倭(ヤマト)しうるはし」を書いていました。
このブログは自分を含む何人かによる共同運営なのですが,「倭(ヤマト)しうるはし」のブログ内容からみて,沖縄のてぃーだブログよりは奈良のブログのほうがよいだろうと結論に至ったので,「なら咲く」ブログに引越して,本日からこちらで新規記事を更新させていただきます。
ヤマト王権の話が主体になりますが,関東や伊勢など幅広い地域の古代史も扱うので,奈良県以外の話題も幾分出ることもあるかもしれませんが,今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
倭(ヤマト)しうるはし編集メンバー KI(執筆衆)
この記事へのコメント
(業務連絡)
KIさん、おつかれ。マイプロフィール画面が設定されていないよ。
これだと、個人ブログなのかグループのブログなのか、どのこだれが書いているのか初めて読む人にはよくわからないんじゃないかな?
旧ページと同じくメンバー紹介の画面を設定してください。
というか、これはひろみこさんの担当かな?どっちにせよよしなに。
(編集メンバー 磐座より)
Posted by まほろば旅日記編集部 at 2011年01月21日 11:24
あ,記事にBGMが追加されましたね。追加してくださったのはひろみこさん?それとも藤堂長官!?
無限に広がる大宇宙でしたっけ?素晴らしい曲,ありがとうございます。
KI拝
Posted by まほろば旅日記編集部 at 2011年01月22日 01:08
KIさん、諏訪様の筒粥神事おつかれさまです。
いざ鎌倉の記事、さっそくみせてもらいましたよ。
あ、ヤマトのBGM、あたしじゃないですよ
ひろみこより
Posted by まほろば旅日記編集部 at 2011年01月24日 20:12
ひろみこさん,KIです。
>ヤマトのBGM、あたしじゃないですよ
ということは,長官ですかね?メンテナンスありがとうございます。後はお任せを。
Posted by まほろば旅日記編集部 at 2011年01月24日 22:22
藤堂です。
確かにKIさんの記事にBGMを選んで追加しました。
それから、サイドバーのイスカンダルBGMですが、後半部分にエイリアンの画像が出てせっかくの雰囲気が台無しになるので、別のものに変えておきましたよ。
Posted by まほろば旅日記編集部 at 2011年01月25日 00:17
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