延喜式内社や全国一宮など
霧結ぶ,氷川の大宮

●霧雨舞い降りる氷川神社,橋のたもとから楼門をのぞみます
氷川とは古へ水沼あり 竪氷を結ぶ
故に氷(ひ)と云ひしを今は氷川と云ふなり
(氷川本紀より抜粋)
このところ,埼玉あたりを往来することが多いためか,またまた大宮の氷川神社からです。去る雨模様の週末,朝早くに氷川神社
訪れてみました。小雨模様の大宮の街を抜け,参道から境内へといたると,一帯は霧雨に包まれていました。猛暑続きだった8月にしては珍しく,やや肌寒い朝でした。雨の予報のためか,土日は朝から参拝の往来がそこそこある大宮も,赤橋を行きかう人影はほとんどなく,静かでした。
雨粒が止んでいる間,勤め手の神職や巫女さんがちらほらと,橋を渡って楼門の中へと消えていきました。
霧深い中,御沼(みぬま)の境内は幻想的

●神池にかかる朱塗りの橋
氷川神社
出雲系の祭神をまつるこの神社は,古来,湖沼を奉祭する祭祀場だったことは以前,ここでも述べたとおりです。「氷川(ひかわ)」の川(かわ)とは,河川というよりむしろ,湧水を意味する古代語。それもまた,以前の記事で述べた寒川神社の「川」と語源を同じくします。
「今も,神社の由来となった湧水が社の裏手にあり,大切に管理しております。但し,禁足地なので一般の方はご覧いただけません」
社務所でたずねると,氷川の神職さんがそう教えてくれました。氷川神社の「氷川」は水(湧水,泉)に由来する名前,そして,神聖視される湧水があることもまた相模の寒川神社との共通点です。

●寒川神社,聖泉湧き出る神嶽山の神苑にて
そして,その湧水が神池に注ぎ,かつて広大な見沼が存在していたころには,今の大宮氷川神社の社地が,古代,神の湖として祀られたその見沼(御沼または神沼)の水源のひとつだったということ。

●誰もいない木立の楼門内もまた幻想的に
出雲系の神々をまつるここ氷川神社の「氷川(ひかわ)」は,出雲國の斐伊川,古くは簸川(ひかわ)に由来するという説もあります。上古のいつのころか出雲族がこの地に入ったとき,故地にちなんで名づけられたものだといいます。
その反面,「氷川(ひかわ)」は古くは「ピカワ」と発音し,「簸川(ひかわ)」は古くは「シカワ」と発音したので別物であると,両者の関連を語源学的に否定する意見もあります。
東日本にまだヤマト王権の力が及ばなかったころ,出雲族の勢力が信濃から関東一帯へと広がっていったことは,氷川神社の存在だけでなく,信濃一宮の諏訪大社をはじめ出雲系の痕跡残る多くの古社などの存在から確かなこと。問題は,氷川神社の「氷川(ひかわ)」という呼び名が,いつの時代にまでさかのぼるものなのかということ。出雲族の到来とともに初めてこの地が「ヒカワ」と名づけられたのであれば,「氷川(ひかわ)」は斐伊川にちなんだ名である可能性が高いでしょうし,出雲到来以前のアラハバキの時代から既にこの水の聖地が「ヒカワ」と呼ばれていたのであれば,「氷川(ひかわ)」と斐伊川の間には何の関係もなかったということでしょう。
ただ,どちらであるのか,今となっては知る由もありません。

●霧雨かすむ楼門の屋根をバックに,神池にかかる朱塗りの橋
いずれにしても,おおむね是とされることは,ここが古来からの水に関する祭祀の場であったということ。氷川の「川」が泉や湧水を意味する古代語であることは先述のとおりですが,氷川の「氷(ひ)」について,その由来に示唆を与えているのが冒頭に紹介した氷川本紀の一節。「氷(ひ)」とは氷雨(ひさめ)の氷(ひ)」と同じく,「冷たい」とか,転じて「新鮮な」「清らかな」という意味合いもあったようです。これまた,発音は違うものの,なぜか寒川神社の「寒(さむ)」と同様ですね。偶然のいたずらでしょうか。

●寒川神社
また,氷川の「氷(ひ)」は神そのものを表すという解釈も成り立つようです。いわく,神の依り代を意味する「ひもろぎ」の「ひ」と同義であると。
・ひもろぎ=ひ(神または神霊)+あもる(天降る)+き(木)
・ひかわ=ひ(神または神霊)+かわ(泉,湧水)
数式風に書けば,上記のとおりです。すなわち,氷川(ひかわ)とは,「神が宿る泉」という意味であるというのです。

●鳥居に天降る雨霧
その名の由来について,いくつかの説がある氷川神社の「氷川(ひかわ)」。霧雨煙る大宮の社地にて,あれこれと思い巡らせた早朝のひとときでした。
聖地氷川に舞い降りた霧雨
幽玄を演出するその光景は,水の恵みをもたらす神の息吹もかくやと見紛うばかりに「幻想的なものでした。
そして,午前8時半をまわるころ,霧雨は大粒の雨に変わり,次第に激しくなり,神威を彷彿とさせた霧も消え去っていきました。秋を目前にした氷川,収穫前の恵みの雷雨,到来です。

●午前8時半,参道の霧は次第に薄れて