※なお,ここでは割愛しますが,奈良平安期の七夕である「乞巧奠(きっこうでん)」については下記事にて詳しく記述しています。
→七夕の源流、乞巧奠(きっこうでん) ~武蔵大宮八幡宮より~(2011年7月1日)
(1) 群馬かみつけの里,三ツ寺遺跡の水祭祀遺構から,また,王の儀式を表したと思われる埴輪から,水(聖水または神水?)を体内に取り込む飲水行為を伴った「流水の儀」の存在が推定され,当地の古墳まつりにおいて再現されています。
→古の水祭祀とは(2011年06月01日)
(2) 今ひとつ,水祭儀の重要な側面として,水で身体を洗い清める“禊(みそぎ)”があり,記紀にも頻出します。夏越の大祓など,現存する神道祭儀等にも,禊行為そのもの,あるいは禊に由来する神事が多く見出されます。
→夏越の大祓と茅の輪くぐり(2011年06月22日)
来宮神社の祭神は,日本武尊(ヤマトタケルノミコト)・五十猛命(イタケルノミコト)・大巳貴命(オオナムチノミコト)の三柱。縁起によれば奈良時代に木の神像(実は五十猛命の化身)が熱海湾で漁師の網にかかったので,それを祀ったとされていますが,もともとは境内に大楠があることから上古からの樹木崇拝が起源でもあるお社ではないかと考えられています。そもそも,冒頭の日本書紀の記載のように,ご祭神の五十猛命が樹木(森林)と深い関係にある神様です。
古来,巨木も,先出の磐座と同様に神が宿る依り代(神籬,ひもろぎ)として祭祀が行われてきました。現在,2000年を越える樹齢を誇るこの大楠は,古墳時代においてもおそらく樹齢数百年レベルの大木だったでしょう。来宮に社殿神道が波及する以前,古代の熱海周辺の人々はこれを神が宿る大木として崇め,折に触れて大木の前で様々な神事を行ってきたのかもしれません。
「キノミヤ信仰」
社殿神道以前の,巨石・山・樹木など自然物崇拝(原始神道)のうち,樹木崇拝をとりわけこのように呼び習わすそうで,相模湾岸から伊豆にかけての地域に見られる信仰形態だそうです。
来宮神社の大楠は,日本書紀にある五十猛命の神話とともに,かつて「倭」の地に広くあっただろう樹木崇拝の面影を今に伝えているのかもしれませんね。
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