かぎろひ燃ゆる,さきたま古墳群

まほろば旅日記編集部 倭しうるはし担当

2013年02月05日 03:28


●稲荷山古墳(2013年1月下旬,午前6時半)


辛亥の年七月中 記す。名は乎獲居(ヲワケ)の臣。

   世々 杖刀人の首と為り 奉事し来り今に至る。


(稲荷山古墳出土鉄剣銘文より)



1月下旬,埼玉県行田市にある「さきたま古墳群」。北関東に泊りがけの出張だったため,この地で夜明けを迎える機会を得ました。まだ暗闇に閉ざされた空間に変化が起きたのは午前6時半ごろ。まず,地平線あたりが濃いオレンジ色に染まり,次第に明るみを帯びると同時に,古代さきたまの王たちが眠る墳墓がシルエットに浮かび上がってきました。



●半月かたぶく丸墓山古墳の山際もオレンジに染まります




●埴輪の列が復元されている将軍山古墳


100メートル超の大型古墳が9基もある古墳公園のあけぼのは壮観そのものでした。

「埼玉(さいたま)」の県名の由来にもなった「さきたま(前玉)」という古墳群の名前は,実はこの地で古代から祭られている産土神の名。今は古墳群にある円墳の頂に鎮座する前玉神社(さきたまじんじゃ)の祭神,前玉比古命(さきたまひこのみこと)と前玉比売命(さきたまひめのみこと)は,上古のころ,この地に君臨した古墳の被葬者たちの氏神ないし祖神では,と考えられています。
 年代的には5世紀後半から7世紀までにかけて,おそらくはこの地の歴代の王(きみ)達が眠る王家の谷ともいうべき場所。冒頭の稲荷山古墳に眠る乎獲居(ヲワケ)もその一人。5世紀後半,古墳群で最も早くに築造された大型古墳の主ゆえ,ワカタケル大王(雄略天皇)の杖刀人首(いわば近衛長官)としてヤマト王権での要人となると同時に,ここ「さきたま」に君臨した最初の有力な王(きみ)だろうと考えられています。





時刻はやがて7時になり,次第に朝日も強みを帯びてきました。

そして,さきたま古墳群最大の前方後円墳,二子山古墳の方墳側からついに太陽が覗きました

大寒の凛とした朝日に映える巨大な墳丘に,往古の昔に,无邪志(むさし)の国に一大勢力を誇った一族の威容を肌身に感じたような,早朝のさきたま古墳公園でした。



●二子山古墳(2013年1月下旬,午前7時)

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