恵我長野邑の地にゆく年を送る ~辛國神社の大祓など~
●辛國神社の大祓当日,境内に設けられた茅の輪の前で(2012年12月31日)
大泊瀬幼武尊 餌香長野邑を 物部大連に賜ふ
(日本書紀を参照)
藤井寺市にある辛國神社。このあたりは「餌香長野邑(えがながのむら)」と日本書紀には記されており,今もこのあたりは「恵我(えが)」とか「恵我荘(えがのしょう)」と称されています。雄略天皇ことワカタケル大王に仕えた大連,物部目がこの邑(むら)を賜ったのは5世紀後半ごろのこと。そのとき,邑に物部氏の祖神ニギハヤヒノミコトを祀ったのが,辛國神社の始まりだといわれています。
昭和のころからベッドタウンとして宅地開発が進んだ市街地の海に,あまた浮かぶ艦隊のごとく,大小の古墳が神社の近隣,至るところに点在しています。かつての河内王朝(河内王権)の威容を今に伝えます。
大晦日の午後3時,その辛國神社の斎庭にて,この年下半期の罪穢れをはらう大祓式が行われました。こちらの大祓は,まず茅の輪(冒頭写真)を三度くぐって,拝殿前にて大祓詞を奏上し,最後に湯立神事を行うというもの。
●年越の大祓での湯立神事
拝殿前に据えられた湯釜には,神主の手によって御酒と塩が注ぎ込まれ,笹で一気に湯花を散らせます。
上古の盟神探湯(くがたち)に起源があるといわれる湯立神事。神主さんの話によれば,湯立(ゆたて)の「ゆ」は元来,神霊を意味するコトバ。斎庭(ゆにわ)または沙庭(ゆにわ)の「ゆ」と同義であり,湯立神事は,天上から神をお迎えする儀式という意味合いがあるのだそうです。
「年越の祓えも済ませ,ほとばしる湯しぶきにも浴し,新年を目前にしてどこか清浄なお気持ちになられたと思います。どうぞ,良きお年をお迎えください」
神主さんの括りの挨拶で年越の大祓が幕を閉じ,振る舞いの柚子湯で体を温めた後,杜を後にしたのは,今年最後の太陽が西に沈みつつある時刻。
●岡ミサンザイ古墳(伝仲哀天皇陵)。夕焼け空に,カラスがあまた飛び交います
辛國神社より歩を南へ10分ほど進めると,岡ミサンザイ古墳。5世紀末に築造されたと考えられる大型の前方後円墳。おそらくは河内王朝の大王かそれに準じる王侯クラスの人物が眠るだろう墳丘の上空,何百というカラスが喧しく円弧を描きます。
そして,古墳時代のシュラ(石材を運ぶソリ)と舟を模した,シュラホールにも押し寄せるカラスの群れ
●午後5時ごろのシュラホール(藤井寺市生涯学習センター)にて
夕焼け空に喧しくこだましたカラスの鳴き声も,午後5時半をまわるころ,次第に夜の帳が青黒く落ちていくにつれて静まっていきました。
2012年のサンセットもこれで見納め。
河内王権が夢のあとを偲びつつ,またひとつ年が暮れていきました。
●午後6時ごろの辛國神社鳥居。
この界隈も6時間後には,あらたまった年を祝う人でいっぱいになったことでしょう。
関連記事