延喜式内社や全国一宮など
晩秋の椿大神社 ~紅葉と祭典~

●傘並ぶ,椿大神社の新嘗祭行列(2012年12月1日)
吾(あ)は国つ神 名は猿田毘古神ぞ。
出で居る所以は 天つ神の御子天降り坐すと聞きつる故に
御前(みさき)に仕へ奉らむとして 参向へ侍ふぞ
(古事記より)
この8月に参詣した伊勢国一宮,椿大神社(つばきおおかみやしろ)へ,この12月1日に再び参詣してまいりました。
当日は,この神社の新嘗祭でした。まわりにはかえでの木が多く,紅葉もちょうど見ごろでした。ただ,この日は朝早くから,晴れたり激しく雨が降り注いだりの奇妙な空模様。午前10時,木立に覆われた参道を進んでくる祭の行列も冒頭の写真のとおりでした。



●椿大神社の境内外は,紅葉がちょうど見ごろでした
新嘗祭が終わって,午前11時。境外社の愛宕社大祭。
登山道入口にある鳥居の前での祭典となりました(上の3枚の写真,一番左側はその祭典での舞姫)。

●登山者行き交う登山道入口付近をいく愛宕社大祭の行列

●朱色が印象的な別宮椿岸神社にて
入道ヶ岳の麓に位置する椿大神社は,年じゅう常緑樹で覆われていて境内全体が幽玄な雰囲気を常に保っています。

●椿大神社の神体山,入道ヶ岳あたりの山々も見事に紅葉でした
午後,入道ヶ岳へ。
8月に訪れたときには登らなかった椿大神社の神体山ですが,この日は登山道の途中,入口から登ること約30分のところにある「石神之磐座(いしがみのいわくら)」まで参りました。ちなみに,頂上までだと片道,約2時間の行程なのだそうです。
入口の舗装された上り坂も,キャンプ場を左手にみるあたりから途切れて,いよいよ山道へと入ります。おそらくは境内の「かなえ滝」へと注いでいるのではと思える清流を横切ると,ここからは本格的な急斜面。ところどころ登山用のロープが垂れ下がる山腹沿いに歩を進め,時々,よじ登ることになります。
にじむ汗を時折拭いながら,ただただ腰をかがめて進むこと15分ほどだったでしょうか。左手に石段と小さな祠,そして,さらに斜面奥に三角錐(?)の形をした先の尖った巨岩が林立する木々の中に鎮座していました。
これが,山中で最初に出会う磐座。

●神体山,入道ヶ岳登山ルート途上に鎮座する「石神之磐座(いしがみのいわくら)」
「私個人の見解だと断った上でいうと,あの石神は,神まつりのために尖った形に人為的に削られたんじゃないかなと思うんですよ」
これは下山した後,神社の境内で話した若い神職さんがおっしゃったこと。
境内にある「御船磐座」の祭祀遺構は明らかに人の手で並べられた列石。そして,椿大神社の元宮にして神体山たる入道ヶ岳の山中から頂上周辺にかけて,太古の祭祀跡である磐座が多々,鎮座している(過去記事「サルタヒコの奥津城 ~伊勢一宮,椿大神社 」参照)わけですが,自然の石積みと思しきものから,これはやはり人の手が加わっているのでは?と思しきものまであるそうです。
なお,頂上にある巨岩の磐座までは,さらに急峻な山道を登山することになるとのこと。

上古の昔,きっと神まつりが行われただろう神奈備山
その麓では,紅葉に囲まれたサルタヒコの奥津城にて,祭典が華を添えました。
【椿大神社の由緒等詳細】
(御祭神)
主神 猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
相殿 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
栲幡千々姫命 (たくはたちちひめのみこと)
配祀 天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
前座 行満大明神(ぎょうまんだいみょうじん)
(由来)
当社は、伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系の中央に位置する高山(入道ヶ嶽)短山(椿ヶ嶽)を天然の社として、太古の神代より祭祀されていた「猿田彦大神」の御神霊を、人皇第11代垂仁天皇の御代27年秋8月(西暦紀元前3年)に、「倭姫命」の御神託により、大神御陵の前方「御船磐座」付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相殿として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。
このように社殿創始は垂仁天皇の御宇でありますが、それ以前、悠久の太古、原始人類に信仰の芽生えを見た時、既に大神の尊崇と本社創建の淵源は存したと言わねばなりません。 即ち神話に伝える「天照大神」「猿田彦大神」の時代であります。
天孫「瓊々杵尊」降臨の際、猿田彦大神、天の八衢に「道別の神」として出迎え、風貌雄大、超絶した神威を以って恙なく天孫を高千穂の峰に御先導申し上げ、肇国の礎を成したこの大神を、後に倭姫命の御神託により、磯津(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓に「椿(道別)大神の社」として奉斎することになったのは、まことに神慮によるものと言うべきでしょう。
(以上,椿大神社パンフレットより)